のまに うのろ日記

名前に意味はない

死ねと言ってもいい家

 

親戚の子の話を聞いた。

その子は小さい頃から癇癪持ちというか、キャーッと大声を出すことに抵抗がない子で、子供時代はおとなしかった人の多い親戚内で、ちょっと異色だった。学校ではそうでもないらしいが。

 

その子が、親と「死ね」と怒鳴り合う喧嘩をしたらしい。

多少の反抗をしたことはあれど、「死ね」と言ったことがない私には驚きだったが、その子の親も感情が昂るとそれくらいのことは言いそうだと思った。

心配っちゃ心配だが、一方的ではなく言い合っているのだし、仲が悪いわけでもないのでまあいいのかもしれない。

 

以前、「自分は人に死ねとだけは言わないんだ、それだけは言っちゃいけないだろう」と言う人を見たことがある。

それを聞いた時、私は「死ねだけが悪い言葉なのか?」と考えた。

もちろん「死ね」は強い言葉だし、言わないほうがいいに決まっているが、その人はけっこうズバズバものを言う人だったので、「死ね以外の言葉でも人を傷つけることはできるだろう」と反論したくなったのだ。

 

私は小学生の頃、人に「死ね」と思ったこともなかったし、思ってはいけないのだと考えていた。だけど、中学校に入ってすぐ、かなりストレスが溜まっていることを自覚して、「死ね」と思うだけならよしと自分に許可した。

はっきりと「これからは『死ね』と思うぞ!」と決意した時を覚えている。今思うと間抜けだ。

 

今は人間関係のストレスはなく、「死ね」と思わなくていい生活をしているので、小学生の子が親と「死ね」と言い合っていることに驚きはしたが、どんな言葉にどんな考えを持っているか、どれほどの重みを感じているかは人それぞれだなと思った。